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イチゴ×イチゴ

 思えばいつも、あたしんちの冷蔵庫の真ん中には、パック詰めされたイチゴが鎮座していた。いつも、というのは本当にいつもで、春でも夏でも秋でも冬でも、春夏秋冬一年中、イチゴはそこに当たり前のような顔をしてどっかりと座り込んでいた。
 お陰であたしは、イチゴが冷蔵庫にないと落ち着かなくなり、毎日食べてはスーパーへイチゴを買いに行くようになってしまったのだ。もう本当、あいつは何ということをしてくれたのだろう。
 そう、元々、冷蔵庫にイチゴを毎日、毎日毎日、それはもう毎日良くもまあ飽きないで置いていったのは、あいつだった。
 あいつは、まあ、言うなれば私の恋人だった男だ。イチゴが大好きで、いやあの食べっぷりは愛してるといった方が正しい。とにかく、イチゴの国の王子様なんじゃないかと思うほど、イチゴが好きで大好きで、これでもかというくらい食べていた。朝から晩までイチゴと一緒、そう言っても過言じゃないくらいだ。
 イチゴは旨いなあ、本当にいつ食べてもいけるなあ。あたしんちで、あたしの作ったイチゴケーキを、もぐもぐと貪り続けるあいつ。あたしのことなんかそっちのけで、イチゴに夢中である。そのイチゴケーキ、あたしが頑張って作ったのよ、あたしが。あんたの恋人は、あたしじゃなくて、イチゴなのかしら。
 そんな風に良くむくれたものだけど、でもね、あいつが愛してるイチゴも、救いようのないイチゴ馬鹿なあいつも、嫌いじゃなかったのよ。全然、嫌じゃなかった。
 ほら、お前も食うか。このケーキ旨いぞ。そう言って、幸せそうな顔をして、いつも必ずあいつは、一番大きなイチゴをあたしにくれるから。
 馬鹿みたい、馬鹿みたい。そう思いながら、あたしもつられて幸せな気分。あいつからもらった、甘酸っぱい大きなイチゴにかぶりついて、本当ねって笑うのだ。
 あの頃は、馬鹿みたいに幸せだったわ。

 そんなことを考えながら、あたしは素人臭い出来の木のアーチをくぐる。土埃で汚れたアーチには、ようこそイチゴ狩りへ!と色褪せたペンキで書かれていた。見上げて見たアーチの向こう側で、呑気に雲を浮かばせている青空が目に入り、何だか不機嫌になる。あたしは一人、口を尖らせた。
 散々道に迷って、ようやく辿り着いたというのに、何もかもあの時と変わっていなくて。これじゃあまるで、あたし一人が変わってしまったみたい。
 なんていうのは、八つ当たり。いいの、あたしは一人で生まれ変わるの。
 折り畳み式のテーブルにテーブルクロスをひいてレジを置いただけの簡素な料金所へ、パンプスを鋭く響かせながら歩く。親の腕にしがみつき、楽しげに話していた子供が、目を真ん丸くしてあたしを見た。
 その子供を横目に、農家のおじさんにお金を払って、代わりにイチゴを入れる紙皿をもらった。おじさんは私に、イチゴの収穫の仕方を説明し始める。去年も二回同じことを聞いた。不機嫌だったから、聞き流した。
 どこのビニールハウスでイチゴを狩ろうか。少し迷ってから、あたしは近くにあったビニールハウスに入る。入った途端に、じっとりとした熱気があたしを出迎えた。春なのに、蒸し暑い。手を団扇代わりにぱたぱたと扇がせて、熱気を追い払おうとする。熱気はなかなか追い払えなくて、あたしは仕方なく諦めて、イチゴを狩ることにした。
 甘酸っぱい匂いに囲まれながら、記憶の通りにイチゴをもぎ取る。去年の春、あいつと一緒にここへ来た時は、イチゴの収穫の仕方も、美味しいイチゴの見分け方も、あいつが全部教えてくれたんだった。教えながらあいつは、次から次へとイチゴを自分の皿に盛っていって、まだあいつのイチゴの食べっぷりに慣れていなかったあたしは、目を真ん丸にしてしまったのを覚えている。それで、自分の皿がいっぱいになったら、今度はあたしの皿にイチゴを積んでいったのだ。イチゴは旨いからな、いっぱい食えよ、って。
 あの時のあたしは、あいつのきらきらした笑顔が嬉しくて、何だか良く分からないけど、はしゃぎながらイチゴの山を崩した。はしゃいではいたけれど、でもやっぱり、あのイチゴの山を崩すのには苦労した。今のあたしなんか、もっと苦労するんだと思う。
 おっと、思い出に浸ってばかりはいられない。あたしの皿にはあの時と同じ、イチゴの山が出来上がる寸前だった。危ない危ない。あたしはイチゴを無造作にもぎ取っていた手を止める。
 あたしも少しは成長しているんだ。前と同じ失敗はしない。多分だけど。
 あたしはビニールハウス内に備え付けられたベンチへ移動した。べたっと座って、何となく空を見上げる。ビニールハウス越しの青空は、もやもやとぼやけていて、まるであたしみたいだった。うん、きっと、これで良いの。良いのよ。
 あたしは皿に積んだたくさんのイチゴの内の一つを摘む。口へ押し込む。甘かった。一年前も今も変わらない、イチゴの味。甘くて美味しくて幸せな、思い出の詰まった味。
 また一つ口へ押し込む。咀嚼する。思い出が、あいつが笑う。泣いてなんかいないわ、決して。一つ、また一つとイチゴを口へ押し込む度に、あいつが私に喋り掛けてくる。全く、本当にいつまでもイチゴと一緒なのね、あいつは。
 あたしは今きっと、笑えているはず。イチゴを愛してる馬鹿がいたわって、笑い飛ばせているはず。  そう、ケリをつけるの。雪が降り始めた頃別れたあいつの思い出と、ケリをつけるの。そのために、ここへ来た。
 イチゴはもう、嫌いになるのよ。

 特にこれといった理由はなかった。心地好い幸せに、慣れ切っていたのかもしれない。あいつとは、いつの間にかそういう関係じゃなくなっていた。
 別れてからも、何一つ変わらなかった。あいつは相変わらずイチゴを愛していたし、あたしは相変わらず文句を言いながらあいつの隣にいた。本当に何一つ変わっていなかった。だから、あたしはそのまま、馬鹿みたいに幸せなまま、ふわふわとあいつの隣にいた。
 だけどね、気付いた時には遅かったわ。
 ある日あいつは、あたしに言った。新しい彼女が出来たんだって。照れ臭そうに笑っていた。いつものあいつは、もういなかったの。その日からあいつは、前と変わらないのに違う。何かが違うあいつになった。
 あたしは何だかもやもやして、きっと新しい彼女はイチゴみたいに可愛らしいんだろう、なんて馬鹿なことを想像したり、そんな奴の名前はイチゴ女で充分だ、なんて変な怒り方をした。
 そして、唐突に気付いてしまった。あたしはまだ、あいつが好きなんだと。あんな馬鹿みたいにイチゴばかり食べてやる奴が大好きなんだと。悲しかった。どうして今気付いてしまったのか、どうして気付くのが今だったのか。あたしは悲しかった。あの日あの時、あたしは初めて、あいつと別れて悲しいと思った。
 でも、ええ、今は大嫌いだわ。イチゴなんて、大嫌い。今から大嫌いになったのよ。

 あたしはイチゴを次から次へと口へ押し込む。こんな甘酸っぱいイチゴなんて、嫌いだわ。嫌い嫌い、大嫌い。
 さっき甘くて甘くて美味しかったはずのイチゴは、こんなにも甘酸っぱくなっている。だってあたしは、イチゴが嫌いなんだもの。
 イチゴを食べて、食べて食べて、冷蔵庫に居座り続けて腐りかけたイチゴも全部食べてしまおう。全部食べるわ、だって、捨てるなんてそんなこと出来ない。全部、あたしのお腹に収めてやるわ。あたしはあいつを消化するの。そうしないと、あたしもあいつもきっと、前へ進めないはずだから。あたしが全部食べてやるわ。あたしは素晴らしく良い彼女だったから、最後の最後まできちんとするのよ。
 イチゴのことしか頭にないイチゴ馬鹿は、イチゴのような女で充分。あたしなんて勿体なかったの。
 あたしは、皿に残った最後の一つのイチゴを口へ押し込んだ。甘酸っぱい。そして少し、塩辛い。
 イチゴ馬鹿はイチゴ女と一生くっついてれば良い。一生イチゴを囲んで笑っていれば良い。
 ねえ、ねえ馬鹿。幸せになってよ。
 雨なんて降っていないのに。きっとこれは、青空からこぼれた欠片。いくつもいくつも、あたしの頬を伝って、空になった皿に吸い込まれていくのは、涙なんかじゃないわ。
 見上げたビニールハウス越しの青空は、やっぱりもやもやとぼやけていて、だけどさっきより青かった。

2011/05/15 作
遠い昔に書いた三題噺のリメイク。
お題は『イチゴ・冷蔵庫・青空』
アイキャッチ画像は刀彼方。

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